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【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロンU【御同行】

350 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/01/16(月) 22:30:47
私の書いた文章が勝手に掲載されているので、横レスですが一言述べさせてもらいます。
親鸞聖人の神祇信仰についての考え方で議論がありますが、基本的には親鸞聖人の思想に
おいてはいわゆる「神祇不拝」の思想が見られることは確かです。
事実、『教行証文類』「化身土巻」に「勘決邪偽」という考え方として見られます。
「真偽を勘決して、外教邪義の異執を教誨せば、『涅槃経』にのたまはく、
仏に帰依せば、ついにまたその余の諸々の天神に帰依せざれ、と。
『般舟三昧経』にのたまはく、「優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、
みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道に事ふることを得ざれ、
天を拝することを得ざれ、鬼神を祀ることを得ざれ、吉良日を視ることを得ざれ、となり」

引用もされていますが、同じく「信文類」においても
「真の仏弟子といふは、真の言は偽に対し仮に対するなり。弟子とは釈迦諸仏の弟子なり、
金剛心の行者なり。この信行によりてかならず大涅槃を超証すべきがゆゑに、真の仏弟子という。
仮といふは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土の定散の機なり。偽といふは、すなわち六十ニ見・九十五種の邪道これなり」

と述べられております。六十二見・九十五種の邪道といわれる仏教以外の教えをよりどころとすべきではないことだけでなく、
聖道自力の教えや浄土門内における自力の教えにおいても、結局は大涅槃を証することはできず、ただひたすら大経第十八願
他力念仏の法によって我々を救う仏は阿弥陀仏一仏(究極的には、弥陀仏は方便法身であり、しかも自然のようをしらせん手段
にほかなりません。阿弥陀仏という実在があるわけではありません。おさとりの象徴でしかなく、
親鸞聖人は事実龍樹菩薩の『大智度論』における「指月の喩え」を引用して説明してもいます)であり、
弥陀一仏を帰依の対象とすべきことがとかれています。また念仏は、我々の側の念仏であるというのではなく、
あくまで如来のはたらきと捉えるのが本願念仏の教えとなります。我々自身が念仏申すというより如来のはたらきにより、
我々が念仏申すほかないという事態をこそ指すものであり、我々から善根を振りむけるというものではありません。


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