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【神社】寺社から古代を語りませう【仏閣】

1 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 11:00:12
古代(奈良時代以前)の真の歴史を、
寺社資料等からしらべませう

 


2 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 11:02:56
神社と寺院はどちらがはやいのか?
一般的には神社ですが、
異論をお持ちの方いますか?

3 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 11:44:06
>>2
古墳即ち神社からして、神社の祭祀は、寺院をかなり遡る。


4 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 12:11:13
>>2 
前原市の雷山千如寺の縁起は、
成務48年に出来たとのこと、
皇歴に直すと、
西暦178年になる、
通説よりも仏教伝来は早かった証拠です。

5 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 12:57:47
>>4
古墳よりも早かったって言いたい訳?

それに皇暦なんて信用している人はまずいねーよ
かなり修正しなけりゃならないだろ・・・
縁起自体は貴重な資料だけどね。

6 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 15:46:43
それよりも、
仏教から神社が出来たって言う論者が結構いるよな!

7 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 16:29:03
>>6
想像や妄想は勝手だけど、
仏教と神教は明らかな違いが結構あるよね、
例えば教義しかり、墓でも、神名仏名、好数字でも・・・
それみんな無視しないと、
仏教から神社が派生したなんて言えないよね、
知識の無い人の戯言だよ。

通常言われている、別々の出所で、
日本で習合した以外には、
実は考えられないんだよ。

8 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 16:40:50
>>7 
それは間違いないよ、検討の必要もないよ。

>>4
なるほど成務なら、3韓征伐の前に伝来となる、
西暦178年でも可笑しくないよね。
私は納得しますよ。

さて問題は神社の始まりですね。

9 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 16:57:08
神道の始めだけど、
>>3のように、古墳=神社から始めたら、
神道の始まりが古墳時代になってしまうよね。
通説では3世紀前半からが古墳時代だから、
千如寺の由緒に遅れること100余り、
納得出来ないな!

10 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 17:08:24
神道のお祭りには、
新嘗祭などの稲作に絡むお祭りが多いからね、
弥生時代に始まりを持つべきじゃないのかな。


11 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 17:16:20
現代の神道は、
中国の道教的な祭神祀を行い。
原始弥生的な、農耕祭を行い。
古墳時代の神様を中心に祭っている。

云わば寄せ集め宗教じゃないのか?

12 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 18:13:31
>>11
そこまで行くと
神社の歴史を掘り返さないと、
結論でないぞ!

13 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 20:06:25
神社は弥生と古墳時代の間を解明しないとね。

14 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 21:10:11
墓が変ったから時代が変った

15 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 21:17:10
>>4
雷山千如寺の縁起が史実に添った物でも、
その仏教が神社のように広がりがあったとは限らない。


16 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 22:09:26
そーだね、キリスト教も迫害される前でも、ポイントだけだしね。

17 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/17(日) 22:42:05
地方へ行くと仏教の広がりが、
官製だからね、
仏教はけっして民の要求じゃなかったよね。

理由はその前に宗教があったからだろうね。

18 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 00:14:09
魏志倭人伝に重なるね!
しかも古代の寺は役所を指して、
仏教は学問だったんだ、
だから千如寺は邪馬台国の、
一大卒の所在地だと考えられないか!

19 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 08:25:35
言い換えると、
>>4によれば西暦178年に、
伊都郡の雷山千如寺が出来るたとすると、
魏志倭人伝の目前の時期になる、
その魏志倭人伝によると、
伊都国には一大率という、
いわば出先機関があったと、
書かれている。
>>18の云うとおり、
寺は中国では役所を指すから、
これらを組合すと、
千如寺=役所で、
時間もピッタリって訳だね。
面白い!

20 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 08:53:41
面白い考察だな!

雷山千如寺大悲王院 悲しい王の・・・ なんかあるよね
http://www.citydo.com/prf/fukuoka/guide/sg/500001716.html

21 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 09:53:07
平安時代ですら、仏教は庶民の者じゃなかったですよ、
それは浄土宗からで、
仏教は千如寺に来日していても、
宗教として、庶民に認識されたのはかなり後ですよ。
だから神社が室町迄は庶民宗教として、認識されていたはずです。

22 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 10:06:35
追加
庶民に信仰されていない教えは、
宗教とは言えませんね。
前述のとおり学問とした方が正しいと思いますね。

23 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 10:43:47
「千如寺は725年聖武天皇の勅願を受け清賀上人によって開山。
以来約1300年の歴史を誇る由緒ある寺院です。」
HPを見ていたら、
上の創始縁起がありました。
何故二つの創始縁起があるのか・・・


24 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 12:24:34
本音と建前だろ・・・記紀は建前だからそれに沿ったものは総て建前だよ

25 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 13:55:55
ここに一つ、
後の政権に改竄された、
記録がある事が、
わかりますね。

26 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 14:17:46
>>9
みんな気が付いているとは思うけど、
3世紀始めと178年だと100年余りは多すぎるね!
22〜72年位の時間差があるが正しいのよね。

27 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 14:33:22
手持ちのダンテスダイジの本によると
中国の易経、カルデア占星術、古神道のオリジナルスサノオは
アトランティス密教を源流としているってさ


28 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 14:51:37
>>27
その本は信用が置ける本だと思うか?
思うならその理由を書け!


29 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 16:20:45
実は神社の創始年代は、みんな奈良時代あたりが多くて、
自称の創始はかなりいい加減なんだ、
特に問題は、歴史的に重要じゃない神社も、
古い創始を自称しているから、
ややこしいんだよね。

30 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 17:01:07
>>19
雷山には神御石もある。
麓には世界最大の銅鏡が出土した平原遺跡もある。
囲むように筑紫の日向の高千穂と言われる高祖山連峰もある。

すごくおもしろい地域である事は間違いないよね。



31 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 17:21:28
雷山ってさ、寺ではなくて、
神社から始まったんじゃないかな?
近くには雷神社もあるからね。

例えば稲荷(かみいなり)と読んだり、
賀茂別雷神社のように、神社としての読みも現代に通じるものがるしね。

それに千如寺以外の寺に、あまり早い伝来創始は聞かないからね。

32 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 20:56:55
神稲荷(かみいなり)は、初見だね。
だけど証拠に乏しいな。

33 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/18(月) 21:43:02
雷大臣は絡むのかな?


34 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/19(火) 21:45:22
神稲荷!?
それ納得ししたくないけど、
面白いよ!

35 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/19(火) 22:24:01
>>34
納得??何がどういう風に??w

36 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/20(水) 21:05:30
>>35
神稲荷のような、
音の遊びは、証拠とは考え辛いから、
納得したくないと言いました。

だけど今後研究する価値が有りそうな、
音の響きですね。

言葉足らずですみません。

37 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/20(水) 21:32:39
>>2
>神社と寺院はどちらがはやいのか?
>一般的には神社ですが、
>異論をお持ちの方いますか?

この議題に戻りませんか?どうでしょう?

38 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/21(木) 17:31:53
雷山も明治に中央の役人に資料も燃やされてる。

当時隠し持ってた僅かな資料に178年の記述があったみたいだな。


39 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/21(木) 20:54:47
福岡だったら油山観音も仏教公伝以前の建立だったと思うよ。
北部九州は渡来人も多かったしね。

建築様式に限って言えば、現在の神社建築が仏教寺院の建築様式の影響を
多分に受けていることは建築史の常識だしね。
ただ伊勢神宮、出雲大社などの神殿は弥生時代の高床式倉庫が原型と考えられ
ているが・・・貫や軸組み、そして継ぎ手は仏教建築からの援用
瑞垣など正殿を囲む様式と奈良寺院様式との関連を論じる学者もいる。

もともと神殿の建築は常設ではなく仮設であり、岡山の備中神楽の神殿などの
が原型であり、仏教の影響で常設に移行したと考えられている。
そういえば神像も仏像の影響で平安後期までしかさかのぼれないんじゃなかったけ?



40 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/21(木) 21:16:25
>>39
深い御高察ですね。
貴方は仏教の伝来はどのように考えてられますか?
私観で結構です。

ちなみに私は伝来は2度あったか、
先行一波は宗教としての伝来ではない、
と考えています。

41 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/21(木) 22:27:59
>>39
弥生時代の神殿も神事毎に建てていたみたいだな。

吉野ヶ里の神殿跡も何度も立て替えられていた痕跡もあるみたいだ。

42 :39:2006/09/22(金) 10:44:21
中国の話ですが、従来中国への仏教公伝は1世紀ごろ黄河流域を経て伝わったと
されていますが、最近の研究ではそれ以前に雲南、長江流域(南方ルート)
を経て伝わっていたとされています。
また興味深いことに、南方ルートで発見される仏像、ないしそれらしきものは
墳墓の装飾や明器(副葬品)、銅鏡の装飾として出土しています。
つまり、仏教思想よりも外来の呪物、装飾品としてまず伝来したのではないでしょうか。
また、日本の古墳や弥生時代の墳墓から出土した中国製銅鏡にも仏像らしきものがあります。
そうした装飾品として6世紀以前に既に日本に伝来していたのではないでしょうか?

43 :39:2006/09/22(金) 10:59:46
さらに中国において当初、仏(浮屠)は黄老と一緒に祭られ
西域の神とされています。
日本の神々には中国、朝鮮半島由来の神もいますし、その影響を
受けたと見られる名前の神もいます。
すると、仏も名前や形を変えて、すでに日本の神として祭られているかもしれません
延喜式などの神名帳を調査していないのでなんともいえませんが
可能性はあるのではないでしょうか?

44 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/22(金) 21:43:04
39さん
有難うございます。
素晴らしいご高察ですね。

ご指摘の神は七福神の事ですね。
七福神では恵比寿以外は、中国やインドの神様です。
残りの六福神は、本地垂迹同様、当てはめられた神で、
日本の神に比定されます。
弁天=市杵島姫のように、似た伝承を持つ日本の神と、
海外の神をダブらせて、仏の一部は、日本の神になっているのですね。

神道では、八百万のように、総てを許容する為、
他国の神を排他せずに、受け入れる伝統が強すぎますね、
もう少し整理して欲しいですね。
個人的感想です。

45 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/22(金) 22:03:41
>>39
油山観音の油山縁起では、
何故か豊玉姫の由緒が残っている。
観音と言うから、寺院の縁起に思うけど、
豊玉姫なら、神社じゃないのか?

46 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/22(金) 22:38:07
>>38
その調査次第はわかりますか?

47 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 01:20:25
>>38 
この事について少し詳しく言うと
鎌倉時代は雷山千如寺一帯に300以上の坊舎があったみたいだ。

この前千如寺にいって住職さんに178年の事を聞いてみたら
明治時代に寺が一つに統合され、
残されたていた古い貴重な資料など全部中央の役人に焼き掃われたみたいだ。
でも当時の住職さんが僅かな資料だけ隠し持っていたらしい。
その僅かな資料の中に178年開創の記述があったらしい。


48 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 08:37:09
>>45
千如寺の近所の雷神社は、
対馬等に有る神社で、
中臣烏賊使主で、
亀卜の祖神を祀ることが多いようだ、
卑弥呼伝承に繋がるのかな?

49 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 10:06:04
亀卜で思い出したが、亀卜は古語で「ふとまに」といいます。
辞書では「ふと」は太で、大きい、賛辞
「まに」は「ままに」で「ありのまま」占いの意味とされています。
ところで「仏」も古くは「浮屠(ふと)」と呼ばれ、それが「ほとけ」
になりました。
また「まに」はインド語では「宝珠、財宝」の意味があるそうです
インド語だと「ふとまに」は「ブッダの宝」と言う意味になります。
なんか関係ないでしょうかね?

50 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 10:23:50
>>49
ふとまには太占だよ、
亀卜はきぼく又は、かめうらじゃないの?

少し発展しすぎているね。

51 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 10:38:34
ちなみに
「太占」という漢語は存在しませんから「ふとまに」の当て字
「亀卜」は漢語にあるから「かめうら」は訓読み

52 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 10:53:05
>>51 
あの〜何が言いたいの?
それが古語での読みかたの証明になるの?

53 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 11:15:51
神道は受け入れる宗教であり、
時代時代の流行により少しずつ変化する言葉に似ています。
七福神の神々も、仏教以外にも様々な神が含まれています。
これは神道の持つ性格を如実に物語っています。
もし仏教の後に神道が出来たとすると、
このような寛容な宗教になることは不可能である事が解りますから、
仏教公伝以前から、神道が有ったとしか考えられないのですね。

54 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 11:16:24
神道は受け入れる宗教であり、
時代時代の流行により少しずつ変化する言葉に似ています。
七福神の神々も、仏教以外にも様々な神が含まれています。
これは神道の持つ性格を如実に物語っています。
もし仏教の後に神道が出来たとすると、
このような寛容な宗教になることは不可能である事が解りますから、
仏教公伝以前から、神道が有ったとしか考えられないのですね。

55 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 14:21:54

????
そもそも「神道」という概念は「仏教」という外来宗教が流入することによって
作られたものであることは定説です。
むろん、仏教伝来以前より神祇信仰(プレ神道)はあったでしょうが、それを神道と
呼ぶのは学術的にはどうでしょうね。

あと「神道の寛容性」は仏教の影響と言う、研究もあります。
『日本書紀』には仏像を拝んだために神々が祟りをなしたという記述が
いくらでもありますし、氏寺が焼き討ちされ仏像が破棄された話もあります。
「日本の神祇が仏教の教えを聞いて歓ぶ」というような仏教受容をしめす
話は奈良時代を待たなければなりません。
少なくとも、6世紀の仏教伝来期の神祇は仏教に対して寛容ではありません。

56 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 16:51:49
仏教公伝が538年
それに対し、日本書紀は養老4(720)年に完成、
古事記も和銅4(711)年編纂
どちらも仏教公伝以降の仏教隆盛の時代に出来た文献だから、
外来宗教である仏教と神祇信仰の確執についてはあまり触れられていない。

しかも仏教が伝来し250年以上経ってるわけだから、仏教伝来以前の
神祇信仰がいかなるものかも正確には記されているとは言いがたい。
また延喜式にいたっては延喜5(905)年編纂開始だから仏教公伝より367年も
経っている。

もし、聖徳太子が編纂させた『天皇記』『国記』が現存していれば、あるいは
古い神祇信仰の形態がわかったかもしれないのだが・・・


57 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 17:27:46
>>55
>そもそも「神道」という概念は「仏教」という外来宗教が流入することによって
>作られたものであることは定説です。
さてその定説は誰が言ってる定説なのですか?

仏教の影響が神道に与えた影響は認めますが、
その影響は僅かしか認められません。
その〜定説は、かなり無理な解釈だと思いますよ!

例えば新嘗祭等の行事は弥生文化より、古墳のような墓制は中国朝鮮から、
宗廟等の様式は道教から入っており、
殆ど仏教の影響は認められません。
このように仏教からの影響が、全く考えられないものは、
どうすれば仏教の流入により、作られたか説明願いたい!

58 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 17:39:53
>>55
>あと「神道の寛容性」は仏教の影響と言う、研究もあります。
誰の研究ですか?

>『日本書紀』には仏像を拝んだために神々が祟りをなしたという記述が
>いくらでもありますし、氏寺が焼き討ちされ仏像が破棄された話もあります。
>「日本の神祇が仏教の教えを聞いて歓ぶ」というような仏教受容をしめす
>話は奈良時代を待たなければなりません。
>少なくとも、6世紀の仏教伝来期の神祇は仏教に対して寛容ではありません。
神道が寛容ではないなら、
何故「神道の寛容性」は仏教の影響と言えるのですか?
前後の繋がらない論旨を展開されています。
良く貴方の論旨を確認下さい。
当方は>>45のように、神仏習合は早くから進んでいたと考えるので、
神道の寛容性は充分説明できると思いますよ。

59 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 17:47:42
>>55-56
内容を要約された方がいいかと思います。
多分貴方は仏の影響で神ができて、
その後確執が続いたと言いたいのですか?
それとも真実が解らないと言いたいのですか、

話が飛んで貴方の真意が掴みきれません。

60 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 18:10:52
みんな神道宗教学会にでも発表したらw

漏れは>>3の考えに近いが、古墳以前の習俗として墓の上に族長を祀った

死後の建物が社殿となっていったのではないか?その当時は生死の境が曖昧では無かったのか?

海流民族がはじめに高床掘建の形式を確立し、そのあとに律令大陸形の社殿に移行したと考える。

祭事が終わったあとに、祭殿を焼くなどして祭の跡を無くしたこととは目的が違う気がするのだが。








61 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 18:45:42
>>60これでは荒らしと間違われても、可笑しくないですよ!

もう少し建設的に、思いやりのレスをお願いします!

62 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 20:24:26
>>55-56 と >>60 
人騒がせな奴だな!
本当に荒らしだなコイツ!

63 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 20:51:50
>>53 に取り上げられていますが、
七福神は神道の神々だけど、
この神々の出自や性格や御利益を見れば、
日本の神道の事について理解できると思います。

例えば日本の神である事代主は、
恵比寿様と呼ばれていますが、
本来なら王権を相続すべき立場でありながら、
これを神武に譲っています。
争いを避ける日本型談合社会が、
神代にも存在した事を如実に表しています。

このように仏教では理解できないことが、
神道の神々の性格から読み取れるのです。

64 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 21:17:55
>>55-56 と >>60 
コイツ他のスレや板で、
いっつも仏教先行説を流している奴だな、
しかし思い込みだけで、飽きずに良く続けるよな!

そのうち切れて荒らすから気をつけた方がいいぜ!

65 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 21:25:15
>>63
七福神には仏教の神もいるよね
大黒天と弁天とか毘沙門だけど、
この神の伝わり方に興味が有るよ!
例えば仏教公伝と一緒に伝わったか?
その前に伝わったか?

仏教神だけど、
あんまり日本仏教の主流仏じゃないのも気になるよ。

66 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/23(土) 23:31:07
>>65
仏教も神道に似て、仏が多く存在します。
しかしその経典により仏が違う事から考えれば、
七福神の仏の仏教渡来と、本当の仏教渡来には、
時間差があった事が考えられます。
同じ時期なら同じ経典の同じ仏が、
七福神にも、仏教寺院の仏にも居る筈だからです。
例えば阿弥陀如来が七福神に入っているべきなのです。
それはわざわざ人気の無い仏を、
選別された七福神に含む理由が無い事からも、確かだと考えられます。

だから仏教の渡来には、少なくても2波あった事がわかるのです。

67 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 08:50:34
>>66
確かに、日本で人気の阿弥陀仏が、七福神に入っていないよね。
かなり古くに仏教の第一波があったのかもね。

68 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 09:37:48
日本では、仏と神は何故か別けられているけど、
七福神では、仏→神に変ってしまったんですね。
この変化も、仏教伝来が2度以上あった証明になりませんか?

69 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 09:43:43
うる覚えですが、
日本霊異記の冒頭に、
日本に外国の書類が、
伝来した事が2度あり、
第一波が応神の頃に、仏教以外の書物が、
第二波は欽明の頃に、仏教の書物が、
伝来したと書いてあった。

かなり時代が下る書物ですが、
外国の影響を2度受けた認識があったようですね。

70 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 10:48:52
七福神は福神のあつまりだから阿弥陀仏が入っていないのは当たり前です
人気投票じゃないんだから・・・

大黒、恵比寿は一応、神道系
寿老人、福禄寿は道教系、寿老人も福禄寿も同じ壽星であろう。
布袋、弁財天、毘沙門天は一応仏教系
布袋は唐代の禅僧だがクベーラなどの財福神と習合
弁才天(サラスバティー)はインドの豊穣の女神
毘沙門天もインドの財宝神

で、七福神っていつ頃から信仰されてんの?

71 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 11:50:59
定説では室町中期の京都五山などの禅家から、と言われてるけど
現在の組み合わせがほぼ決まったのは江戸半ば。
その頃ですら、寿老人あたりは出入りがあったという。

72 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 12:54:25
それなら古代まではさかのぼれないわけですね。

結論
仏教公伝以前の仏教伝来とは関係ない。

73 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 13:53:46
>>69
大変興味深い記述ですね。
その第一波には、道教の影響もあったのでしょうね。
応神と178年が重ならない事は残念ですね。

74 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 14:30:34
>>73さんと>>69さんへ
中国への仏教公伝は西暦100年位です、
中国三大宗教である、道教と儒教と仏教は、
後漢代に鼎立し拮抗していたそうです。
日本同様に中国でも宗教が共存できた時期であり、
178年は漢代末期ですから、
雷山千如寺の178年なら、
道儒仏が揃ってに日本に入って来ても不自然ではありません。
中国歴代において、どの宗教対しても、
極めて寛容な時期であったようです。

75 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 15:50:04
>>74
なるほど178年の雷山縁起の方が、
より信憑性があると言うご意見ですね。
となると中国の政治状況が反映された事も考えられますね。
その後の倭の五王の時代では中国の実質冊封を受けていますからね。

76 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 16:10:41
仏教公伝の時期について『日本書紀』が間違った記述をしているくらいですから
それに、中国の仏教伝来も考古学的資料より、史書よりも古い時代にさかのぼり
うるということですから、日本への仏教伝来がさかのぼっても不思議ではない

ところで178年って西暦だけどまさか縁起に西暦が使われているわけ無いでしょうから
年号は何なんでしょうね?○○天皇の○○年?

77 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 17:07:43
>>75 
中国史上、漢の習俗は漢字漢音含め、
現代日本に一番影響を与えていますね。
しかも三国史が日本でも人気のように、
この漢代の習俗や概念を一番留めているのは、
本国中国よりも日本ではないかとも言われていますよね。

その後の中国は異民族に何度も征服されたので、
始皇帝の鷲鼻を、現代の漢民族が受け継いでいないように、習俗もかなり変化しています。
そして日本人の方は、中国人よりも鼻が高いですし、日本は殆ど他国に征服されていません、
なにか歴史のトリックが、漢代にあるような気がしますね。
私観ですが、面白いですね。

78 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 19:48:21
連投です。77の補足です。
私は始皇帝の陵と兵馬俑が、
簡略化や退化して、日本の古墳になったと思っています。
日本への騎馬民族の渡来説が絶えませんが、
まさしくその起点が兵馬俑で、
それが時代と山海を経て古墳となったと思っています。
その古墳を含めた文化が、道儒仏の三教と共に、
後漢代に渡来したとは、考えられないでしょうか?

79 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 20:51:19
確かに影響は認められるかな、
ただ兵馬俑=古墳と言うよりは、
兵馬俑=装飾古墳じゃない?
すこし範囲を狭めると、
中国の影響も又違った角度になるな。

80 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 20:53:20
>>19
それおもしろいね。

最近壱岐対馬に行ってきたが、壱岐の神社は凄い。
月読神社なんぞ487年に京都に分祀した、日本の神道の発祥の場所らしいが、
マジ小さな岩が二つ置いてるだけ。
紀元前から祭祀の場所だったカラカミ遺跡の所にあるカラカミ神社もいい。
墓石みたいなのが置いてるだけ。なのに霊場の香りが経ちこめてる。


81 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 21:05:34
もちろん神道の発祥とか言っても、
神道ってなんだ、から始めるべきなんだろうが。

弥生時代の遺跡の近くにある神社は、神道前の祭神祀の香りがしてそそる。

82 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 21:07:28
>>80
対馬にはマテラ神社というのもあるらしいね。

83 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 21:16:37
マテラってアマテラス?
壱岐の対馬側には天原もあるしな。

魏志倭人伝で唯一特定されてる王都、原の辻遺跡のそばにも
本来の壱岐の一の宮があるんだが、地元の人から見捨てられている。
多分古代から祀られている場所だと思うんだが。
月読もカラカミ神社も、地元では軽い扱いだったよ。

84 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 21:22:12
>>80-82
取材レポート?
それともその神道発祥の地を信じたいのか?
気持ちは解るが、一緒に考えたり、証拠を持ち寄ったり、
前向きに議論しないと俺は付き合わないよ!

85 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 21:26:47
>>79 
違う角度って、
装飾古墳が比較的時代が浅いって事?
秦の影響が後から出る?
時間が可笑しいね。

86 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 21:26:58
>>83
マテラ神社も地元の人に聞いても知らない人が多いみたい。

神武一族も壱岐対馬の一族で天孫降臨は一族の福岡進入って話しもあるしね。
それだと伊都国の一大卒も理屈はつくよね。


87 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 21:33:13
>>86
わるいけど
総て仮定で理屈は付かないよ!

88 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 21:54:42
>>85
はい
始皇帝陵は装飾古墳に近いけど、
装飾古墳の定義(例えば古い・高貴等)
が定まっていないから、
それを見極めないと判断は難しいと思っています。

私は通説の時間は、正直あまり信用してません。
やはり秦代から、装飾古墳の方か古いのでは無いかと考えます。
私観で申し訳ありません。

89 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 22:21:44
普通の古墳よりも、装飾古墳が古い?
考えたことも無かったよ・・・でも面白い説かもね・・・

中国文化と別れて間もないから、
装飾していたと考えればありえるしね。

あと考古学的な見地からどうだろうか?

90 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/24(日) 23:04:57
>>84
まあ取材レポートみたいなものだけどねw
全然話題になっていないみたいだから。

>それともその神道発祥の地を信じたいのか?

発祥はあれだ、韓国人が半島こそが神道の発祥といってる根拠の一つだからなあ。
一応日本書紀に487年の京都への分祀の話がある。
壱岐と大和朝廷の繋がりは興味あるよ。



91 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 18:10:46
>>90
韓国を敵対すると、
まともな議論にならないよね

92 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 18:53:14
>>87
この時代の事なんて全部仮定だろw

93 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 21:33:45
>>92
ほんの少しでも証拠で考える努力をしないとね!
御権威の方々は、金と安定に釣られて無理無理操作してるのに、
何も貰えない俺達が、仮定ばっかりで雲の上の人と同じ話する必要あるのか?
証拠で組み立てないと、誰が古代を解き明かすのよ?
マインドコントロールから覚めたらどうだ!

94 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 21:52:08
可笑しな人が居座ってるけど、
>>92の発言を今後も肯定するなら、
別で気楽にやってほしいよ

95 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 22:11:09
>>93
どういうマインドコントロール??
>>94
君たち気持ち悪いよ。


96 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 22:23:11
>>95 
別スレで気楽にやって下さい


97 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 22:33:43
>>96
変な新興宗教に誘い入れないで下さい。

お断りします。

98 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 22:35:23
>>95
>どういうマインドコントロール??
?? 解らないですか・・・

>>92
>この時代の事なんて全部仮定だろw
これに対して返事しましたので・・・

まだ解りませんか?

99 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 22:43:14
>>98
君たち目を覚ませ。
マインドコントロールされてるのは君たち自身だぞ。

目を覚ましなさい。


100 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 22:45:06
>>99 コイツ荒らしだな!

101 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 22:47:41
>>99 
もう2度と来ないで下さい、
お願いします。

102 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 22:52:32
君たちキモイ

さわるなよネクラ
お前らどういう神経してるんだ?? kimotiwarui





103 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:07:35
お前らが古代解き明かせると思ってるのか??

ただのバカだな。
はっきり言ってお前らの妄想じゃムリムリw
ただの気持ち悪い新興集団。 もっとまともな妄想してくれw

104 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:09:48
>>102
こいつ日本史板の太国=プラムだよ
下に詳しいよ

【日本史板】自治新党その4【新秩序】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109250149/l50

105 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:16:58
>>104
違いますが何か??

てゆうかお前キモイ 


106 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:26:37
裸の王様か、まさしくそうだね 

107 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:33:10
>>106
君たち妄想ばかりだねw

もっとマシな妄想したら。 
人間的にも未熟すぎ。 変な宗教に入るわけだ。

気持ち悪い。 俺はお断りします。

108 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:35:40
なんでそんなに関係のない罵倒しかしないの? 宗教ってだれか話したの?

109 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:41:42
>>108
君はまだ改善の余地はあるが他の連中には気をつけたほうがいいぞ。

ここの連中は気持ち悪い。

110 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:53:28
>>109 お前が改善したら

111 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/25(月) 23:55:29
>>110
>僕たちは確かに気持ち悪いけど・・・

まで読んだ。

112 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/26(火) 00:27:33
私は元々の住人です。荒らし屋の言いたい事はこうですね

「俺様のレスには証拠は要らないんだ!」

でもそれは違うと思いますよ。

113 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/26(火) 00:34:19
>>112
へ〜〜〜 お前らのレスには証拠があるんだw

お前らの妄想気持ち悪い。

114 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/26(火) 00:36:57
>>112
妄想乙。

115 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/26(火) 00:48:52
>>112
>僕たちは妄想ばかりだけど・・・

まで読んだ。

116 :オチャ@ ◆YhoGRFN6xQ :2006/09/26(火) 14:09:41
とりあえず喧嘩はよそうぜ

117 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/27(水) 21:04:27
土用は鰻でハッスル7

118 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/28(木) 21:19:48
ここの荒らしは語彙が少ないから有名人だね 

119 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/29(金) 07:41:32
気持ちわるいんだって 感想発表会だね

120 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/29(金) 16:28:57
>>119
神道宗教学会の誰が気持ちわるいんだって?

121 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/29(金) 16:31:17
>>118-119
喪前ら発表会&懇親会くんのか?

122 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/30(土) 11:04:52
>>121 まるで低レベル宣言爆発だな しかしお前のマジレスには誰も寄り付かないよな 

123 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/30(土) 11:47:38
92 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/25(月) 18:53:14
>>87
この時代の事なんて全部仮定だろw

93 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/25(月) 21:33:45
>>92
ほんの少しでも証拠で考える努力をしないとね!
御権威の方々は、金と安定に釣られて無理無理操作してるのに、
何も貰えない俺達が、仮定ばっかりで雲の上の人と同じ話する必要あるのか?
証拠で組み立てないと、誰が古代を解き明かすのよ?
マインドコントロールから覚めたらどうだ!

94 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/25(月) 21:52:08
可笑しな人が居座ってるけど、
>>92の発言を今後も肯定するなら、
別で気楽にやってほしいよ

95 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/25(月) 22:11:09
>>93
どういうマインドコントロール??
>>94
君たち気持ち悪いよ。

           気持ち悪い?どっちが?

124 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/30(土) 13:38:27
4 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/17(日) 12:11:13
>>2 
前原市の雷山千如寺の縁起は、
成務48年に出来たとのこと、
皇歴に直すと、
西暦178年になる、
通説よりも仏教伝来は早かった証拠です。

 
どうやらこの千如寺も創建時は神社のようだね、
「成務天皇の48年(178年)、
雷山の地主神である雷大権現の招きで渡来した天竺
霊鷲山の法持聖清賀仙人の開創と伝えられています」
縁起では雷大権現が先にあり、その招きで仙人を呼んでいる、
雷なら当然神道の神だね!
神仏習合から歴史が長く、
神仏分離後仏教寺院を選択したので、
仏教寺院としての創建と勘違いされるけどね。
縁起からも、元祖は神社だと解りますね。

125 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/30(土) 16:49:24
39 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/21(木) 20:54:47
福岡だったら油山観音も仏教公伝以前の建立だったと思うよ。
北部九州は渡来人も多かったしね。

45 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/22(金) 22:03:41
>>39
油山観音の油山縁起では、
何故か豊玉姫の由緒が残っている。
観音と言うから、寺院の縁起に思うけど、
豊玉姫なら、神社じゃないのか?


雷山千如寺同様に福岡市の油山観音の縁起も
上記のように仏教伝来以前の縁起が残っているが、
豊玉姫の由緒なら神社伝承であり、
千如寺同様に元々は神社であった事が解る。
このように仏教伝来以前の各寺院の由緒は、
本格的な仏教とは認められない。



126 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/30(土) 17:01:25
66 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/23(土) 23:31:07
>>65 仏教も神道に似て、仏が多く存在します。
しかしその経典により仏が違う事から考えれば、
七福神の仏の仏教渡来と、本当の仏教渡来には、
時間差があった事が考えられます。
同じ時期なら同じ経典の同じ仏が、
七福神にも、仏教寺院の仏にも居る筈だからです。
例えば阿弥陀如来が七福神に入っているべきなのです。
それはわざわざ人気の無い仏を、
選別された七福神に含む理由が無い事からも、確かだと考えられます。
だから仏教の渡来には、少なくても2波あった事がわかるのです。

69 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/24(日) 09:43:43
うる覚えですが、
日本霊異記の冒頭に、
日本に外国の書類が、
伝来した事が2度あり、
第一波が応神の頃に、仏教以外の書物が、
第二波は欽明の頃に、仏教の書物が、
伝来したと書いてあった。
かなり時代が下る書物ですが、
外国の影響を2度受けた認識があったようですね。

上記の事から仏教渡来には2波あった事が、
認識されている。
第一波にて七福神の神として、
仏教の大黒天・弁天・毘沙門天が、
日本に神として渡来し、
第二波で現在の奈良仏教が渡来したと、
考えられるのです。

127 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/30(土) 21:10:16
74 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/24(日) 14:30:34
>>73さんと>>69さんへ
中国への仏教公伝は西暦100年位です、
中国三大宗教である、道教と儒教と仏教は、
後漢代に鼎立し拮抗していたそうです。
日本同様に中国でも宗教が共存できた時期であり、
178年は漢代末期ですから、
雷山千如寺の178年なら、
道儒仏が揃ってに日本に入って来ても不自然ではありません。
中国歴代において、どの宗教対しても、
極めて寛容な時期であったようです。


この時期の中国を経由できたから、
今の日本ができたのでしょうね。
その後の中国朝鮮は、
仏教に寛容だったとは言えないですから、
実際は東アジアの日本以外は、
仏教国とは言えないのです。
だから漢代は日本にとってかなりの、重要な時期となる訳ですよね。

128 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/09/30(土) 22:36:19
素晴らしいスレですね、再開待望していました。
証拠立てた議論を是非お願いします。
私は神社の神秘的な魅力は、
日本人の持って生まれた遺伝子に付随すると思っています。
現在の祖先信仰は寺院に取って代わられたのに、
それでも何故か日本人は、神社をこよなく愛しています。
この理由はなかなか説明がつきません。
証拠立てた議論により、概論でも祖先の通ってきた道を明らかにすれば、
現在中途半端な神社も理解を加える事が出来ると思っています。
そして私自身の遺伝子を理解する事が出来ると思っています。
是非頑張ってください。

129 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/01(日) 08:52:12
77 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/24(日) 17:07:43
>>75 
中国史上、漢の習俗は漢字漢音含め、
現代日本に一番影響を与えていますね。
しかも三国史が日本でも人気のように、
この漢代の習俗や概念を一番留めているのは、
本国中国よりも日本ではないかとも言われていますよね。

その後の中国は異民族に何度も征服されたので、
始皇帝の鷲鼻を、現代の漢民族が受け継いでいないように、習俗もかなり変化しています。
そして日本人の方は、中国人よりも鼻が高いですし、日本は殆ど他国に征服されていません、
なにか歴史のトリックが、漢代にあるような気がしますね。
私観ですが、面白いですね。


78 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/09/24(日) 19:48:21
連投です。77の補足です。
私は始皇帝の陵と兵馬俑が、
簡略化や退化して、日本の古墳になったと思っています。
日本への騎馬民族の渡来説が絶えませんが、
まさしくその起点が兵馬俑で、
それが時代と山海を経て古墳となったと思っています。
その古墳を含めた文化が、道儒仏の三教と共に、
後漢代に渡来したとは、考えられないでしょうか?


仮説として非常に面白い論ですね。

130 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/01(日) 09:08:23
>>124
雷山千如寺の縁起から、元祖は神社から始まったようですね。

さてここが雷神社総本社と考えると、
京都の賀茂別雷の別の意味が明白になりませんか?
この別雷の名前を、今迄疑問に思っていましたが、
総本社の存在を確認できれば、解消できます。

まだ仮定の話とはなりますが。
ここに限らず雷の総本社が、何処かにあった筈なのです。

131 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/01(日) 13:20:55
全国には雷神社や火雷神社が多々ありますが、
総本社は確かに見当たりませんよね。


132 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/01(日) 13:35:44
天満宮も菅原道真を祀る前は、
火雷命を祀って居たんだってさ。

133 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/01(日) 15:22:55
>>130
雷山千如寺が雷神社総本社の可能性があるのですか、
なら他にも、寺院扱いの元々神社があっても良さそうですね。
調べてみる価値がありそうですね。

134 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/01(日) 17:28:17
http://www.geocities.jp/waikoku/ 九州王朝倭国より
米田良三氏は、その著書で「今に残る、法隆寺・東大寺・薬師寺・長谷寺・法輪寺・法起寺・興福寺・東福寺はいうにおよばず、三十三間堂・桂離宮等々、
これらあまたの建物が、九州倭国より移築されたものである。」と述べておられます。
確かに北部九州の、特に大宰府から宇佐、更に吉野ヶ里にかけて「虚空蔵寺・法鏡寺・相原・垂水・椿市・木山・上坂・天台寺・大分・塔之原・井上・観興寺・塔之塚・
大願寺・晴気」などの『…廃寺跡』が数珠のごとく連なって残されてます、ごっそり゛移築″されたのでしょう。


元々神社であった寺院の多くも、移設された可能性が大きく、残っている方が稀だと思いますよ。

135 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/01(日) 17:55:36
http://wadaphoto.jp/maturi/oniyo.htm
久留米大善寺鬼夜です。
ここも寺を経ていますが、
1600年前に神社から始まっています。

136 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/01(日) 20:40:19
・鬼夜の由来
 「吉山旧記」(薬師寺縁起ともいう)によれば、
仁徳天皇56年(368)1月7日藤大臣(玉垂宮)が勅命により、
異国へ内通し、悪徒を集め当地を荒らし人民を苦しめて
いた肥前水上の桜桃沈輪(ユスラチンリン)を闇夜に松明を照らして探し出し、
首を討落し、茅を集めて焼いたのが始めとあります。
1,601年余り前のことになります。


薬師寺縁起と書かれていますが、内容は仏教寺院では無いことが明白ですね。

137 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/02(月) 21:10:15
古代の寺院はその字義である寺=役所であり、
しかもそれは神社だったと考えられませんか?
寺=役所=神社
だから寺院と扱う混同があるような気がします。
千如寺に油山観音に大善寺、
仏教公伝前の縁起を持つ寺院は、
どれも神社としての伝承だからです。

138 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/02(月) 21:50:10
九州最古の寺は武蔵寺だと聞くけど、
7世紀だよね。この時間差はどちらに有利なのか?

139 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/02(月) 22:31:38
>>130
参考になればと思い書きます。

雷神といえば、
北野天満宮と伏見稲荷は、
両者雷神同士で反目していたと、
稲荷記に書かれています。

この両者雷神の話は、
あまり知られておらず、
しかも両者の現在の祭神に疑問がつきながら、
多くの分社があることからも、
面白い伝承だと思います。

140 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/03(火) 20:58:26
>139
雷神が比較的早期の神だと考えられるけど、
その神の分派があるのか・・・
これだと稲荷に天満宮に賀茂に・・・
もしかして、雷神が元祖祭神なのかな?

141 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/03(火) 21:05:50
雷ってさ
かみなり
いかずち
いなずま
とどろき
とか色々と訓や付帯語があるけど、
とにかく神秘的な、元祖神って言葉だよね!


142 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/03(火) 22:29:25
>>139
稲荷が雷?

143 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/04(水) 20:32:21
>>141
×いなずま ○いなづま
×いかずち ○いかづち

144 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/04(水) 20:43:30
>>139
天満宮って確かに怪しいよ、
菅原道真が天神の訳がないからね

145 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/04(水) 23:34:31

仏教が伝わる以前の日本の宗教における神の観念はいまとはちがうようだ。

現代人は神というと、無神論者は別だが、洋の東西を問わず、慈愛に満ちて、
われわれを見守ってくれる、また帰依しても裏切らない絶対善の存在と思っている。
これはキリスト教が大きく影響しているように思える。また、大乗仏教の仏のイメージの影響もあるだろう。

しかし、仏教以前の日本の神は、まさしく雷(神鳴り)のごとく恐ろしい存在だった。
気まぐれで、ときに人間に災害をもたらし、決して怒らせてはいけない存在だった。
雷と同じように、狐、蛇は、不思議な動物、つまり神がかり動物とみていたようだ。

それがやがて雷神、狐神、蛇神として祭られるようになったのだと思う。
つまり、祭るのは恐れからで、祟らないようお願いしているのだ。



146 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/05(木) 02:24:17
坐禅と見性 四十五章  豊胸残味
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1158077346/

問う。
『 この場に坐したままで、30メートル先のローソクの炎を吹き消せ。 』
答える。
     ・・・と。

147 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/05(木) 19:39:09

とんち教室をやっているんじゃねえ!

臨在の馬鹿め、
臨在は悟ると、大悟、大悟、すべてに仏性あり、と大騒ぎ。
曹洞は無心に生きられることがすべて、ゼロの世界は静かだ。

しかし、どちらも刷り込まれているだけだ。何の役にも立たない。



148 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/05(木) 20:33:36
>>140 
伏見大社HPより
http://inari.jp/d_shiki/index.html
稲荷大社の由緒では、
太秦の秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が、
稲荷社を祀った秦伊呂巨(具)となっており、
いわば分家と考えられていたようです。

玄松子HPより
http://www.genbu.net/data/yamasiro/matuo_title.htm
祭神・大山咋神は、古事記に、
「亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、
亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と記されている神。
「鳴鏑」の伝承に似た伝説は、賀茂別雷神社にも残されており、
別雷神の父神は、大山咋神となっている。



別雷が繋がってきます。驚きますた。

149 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/05(木) 20:46:33
賀茂別雷って、確か伊勢の次に神位が高い筈だよね。
同様に松尾も伏見も22社の高位だよね。

150 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/05(木) 21:10:57
>>148
突然ですみません。
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/35waka09.htm
http://www.mikan.gr.jp/report/kigen/page3.html
http://www.paj.gr.jp/html/life/oiltown/new/place.html

伏見稲荷の元宮と言われる、紀州有田市の糸我稲荷神社です。参考にしてください。

151 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/06(金) 07:42:49
稲荷を古代と結びつける・・・
面白くなってきましたね

152 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/06(金) 18:19:29
稲荷って古い神社の摂末社には、
殆ど?ってくらいあるよね。
例外もあるけどね。
しかも位置が奥まった所にある事が多いし、
本社よりも高い位置にあったり、

今まで気にしていなかったけど、
稲荷に興味が湧いてきた。

153 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/06(金) 21:52:22
>145
>>つまり、祭るのは恐れからで、祟らないようお願いしているのだ。
恐れ=神社信仰、同感です。
その信仰が続いて現在に至る。

神様に没頭して必死に祈る・・・・・
こんな人間が現在も僅かな事もそれを証明する。

将来の災いに対して祈っている・・・・・
これが日本人の神に対する考えで、
神に対する恐れそのものですね。

154 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/06(金) 22:08:15
あのさ
稲荷神社って神社なの?
大概蝋燭付きで、
神仏混合で、
神社の臭いが線香にかき消されるよ!

155 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/06(金) 23:07:15
>>154
そうだよね、だけどそれは江戸以降の現在の姿!
多分昔の稲荷神社の姿は確実に違うだろうね。
だから少しでも昔を理解できるように・・・


156 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/06(金) 23:28:48
>>1
行基とか攻防大使とか、
古い寺ってなんで、
同じ坊主の開創ばっかなの?

157 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/07(土) 07:38:31
>>148
大山咋って秦氏ってことかな?

158 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/07(土) 22:12:28
>>157
そう読みますか?
どちらにしても理由は浅いので、判断は就きません。

159 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 00:06:12
須佐之男神社について教えてください

160 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 00:20:39
稲荷神
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7
全国の稲荷神社の総本社は、京都市伏見区の稲荷山の西麓にある伏見稲荷大社である。
元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神であり、現存する旧社家は大西家である。


秦氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
秦氏(はたうじ)は古代の氏族で、東漢氏などと並び有力な渡来系氏族である。
秦の始皇帝の末裔を称するが明確でない。

日本書紀によると応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)が
朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となったというが、
加羅、伽耶又は、新羅から来たのではないかとも考えられている
(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。

161 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 00:43:42
>>160
ウィキの信奉者?
稲荷はウィキの通りだよって?
通説が史実かな?
通説の証拠ってあるの?

非常に頼りないけど、このスレの方が、証拠から見ていて好感が持てるよね。

162 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 00:56:22
>>162通説が証拠になるそうです。私も不思議だと思っています。

163 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 00:56:55
>>161←バカ?

164 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 01:13:38
>160さん
>163さん
バカって云うなら、
HP貼り付けで来ない方がいいよ、
しかも誰でも知ってるwiki話で・・・・・

誰がそれ期待しているの??????????????????????

165 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 15:57:00
>>63
恵比寿様が、日本神道の考えそのものじゃないか?

166 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 17:37:39
>>165
確か現在ある恵比寿社で一番古いと考えられているのは、
厳島神社摂社の、恵比寿社だって。
出雲の三保神社同様、
宗像大社にも蛭子神社があるし、
恵比寿=事代主と、
市杵島姫=三穂津姫の親子はセットに祀られている事が多いよね。

167 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 17:55:52
エビス神って、西宮えびす神社が総本社じゃないのか?

168 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 20:18:37
>>167 
関西の有名寺社の殆どは移設だからね、
西宮の砂洲に本当に恵比寿の元祖はありえないよ!

169 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 20:42:55
>>166
宗像の神は本当は男神だってさ
恵比寿さんかな?

170 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 20:56:02
>>168
島根の三保神社も恵比寿の総本社じゃなかった?

171 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/08(日) 22:20:00
>>170
出雲神話を信じてるいるの?
記紀も出雲大社も後付けだよ。

172 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/09(月) 08:34:57
恵比寿神は蛭子神と事代主と、
2通りの考えがあるよね、
蛭子は奇形児で、趣きがちがうよな。

173 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/09(月) 18:51:39
>>172
事代主が奇形児だったとか、どこかが弱かったとは考えられない?

174 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/09(月) 20:15:10
>>173
一緒にするのか?
ちょっと時間も難しいな 
事跡もかなり違う

175 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/10(火) 20:22:11
ある説で恵比寿さんも、他の七福神同様に、余所の神様で、
アイヌ=蝦夷を神格化したんじゃないかと云われているよ、
七福神を作った支配者は、
何故他国の神ばかりを、集めたのかな?

176 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/10(火) 21:04:35
>>175
面白いね、唯一の日本の神で、一番人気の神も、
アイヌと云いたいわけか、確かに恵比寿と蝦夷の音は似ているね。

思いつきだけど、それは他民族だったとは考えられないかな?
アイヌ・朝鮮系・中国系の外来人は、自分達の関連の神を拝み、
元々の日本人は、八百万を信仰して、外来神のご利益にすがったんじゃない。

177 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/11(水) 21:03:58
>176
えびすは夷と戎と使われる。
中国では東夷と西戎と使われ、東西の野蛮人に使われている。
日本でも宋書倭国伝では西衆夷と使い、征夷大将軍と東にも使われたんだ。
しかし戎と夷の使い分けが可笑しいね、どちらも夷なんだ。
だから日本には西に敵がいなかったのではないかとも考えれられている。
いずれにしても、夷「えびす」は東の神様の可能性は高い事は解るよね。

178 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/11(水) 22:22:36
恵比寿が濃厚なのは、対馬だよ!
恵比寿だらけで、元祖とも考えられる。

179 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/11(水) 22:56:38
>>178
それは神社で祀られているって事だろ、
こっちはアイヌが恵比寿神のモデルじゃないかと考えているんだよ。
>>177の東夷だからね。


180 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/12(木) 20:48:57
>>178 >>179
その議論は興味深いね。
東の神が西に濃密にある。
しかも大陸に最も近い、対馬に・・・

181 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/12(木) 21:44:01
八幡愚童訓って面白いですよ。

182 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/12(木) 23:20:03
神道で七ってのは聖数だったの?御利益ありそうな神様を集めた結果の
七ではないよね?寿老人あたりは数合わせのように思える。

183 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/12(木) 23:46:25
>>180
征服者達が、対馬から入って東へ進んだとすれば、解りやすよね。

184 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/13(金) 18:21:35
>>181
どんな内容ですか?

185 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/13(金) 20:23:03
時代が下った書物にしても、最寄の認識を確認出来ますよ。
例えば
彦波瀲尊は、住吉明神御事也。
月神ト申スは高良大明神御事也。
安曇磯良と申す志賀海大明神。

是非確認してください。

186 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/13(金) 20:24:01
>>185は八幡愚童訓の説明です。

187 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/14(土) 09:57:22
>>185
彦瀲って新唐書では、神武の親と書いてあった。
神武の親=住吉大明神になるぞ!

188 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/14(土) 11:05:26
>>185
連投です。
高良大社の縁起では、
高良大明神は住吉大明神の孫なんだって、
だから
>>187
の縁起を合わすと、高良大明神と神武は1世代しか離れていない、
住吉→神武→高良の血脈も考えられる、
記紀とは全く違う事になる。

189 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/14(土) 14:11:03
記紀が信用できていれば、
こんなスレなんて絶対できないよね。

団塊が逝ってからかな?
記紀が参考資料化されるのは・・・

190 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/14(土) 17:14:04
☆   神社・国造・社家の歴史   ☆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1043927485/l50
851からのレスに注目!

191 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/14(土) 17:41:10
>>187
彦瀲がウガヤフキアエズって事か?
しかも住吉神か?
ちょっとメチャクチャじゃね?

192 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/14(土) 22:37:59
住吉と神武ってイメージじゃつながらないよね。
神武は海神なのかな?

193 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/14(土) 22:41:27
血の8分の7が海人って神武だっけ?違ったかな?

194 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/15(日) 00:41:57
>>193
何の話?

高良は武内宿禰じゃなかったか?


195 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/15(日) 00:53:07
>>176
多神教の世界では、神自体を他の文明圏から持ってくることは
ごく普通のことだよ。ギリシアやローマで崇拝された神々は
その大半がオリエント起源だったりする。

196 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/15(日) 09:15:45
>>194
三筒男って、
津津浦々のつつなんだって、
結局海神だけどね。

197 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/15(日) 10:17:43
>>155
稲荷神社は何で正一位なんだろ?
一番偉い神社だってことかな?

198 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/15(日) 13:31:26
>>197
やっぱりさ>>124の雷山千如寺は雷神社で、
その後継神社じゃないのかな?
最古の神社の為に、正一位を貰ったんじゃね。

雷は 神+稲荷だぜ!

199 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/15(日) 19:55:26
>>197
まっその可能性が一番高いよ。

だけど基準は難しいね、
最古もそうだけど、
授与当時の力関係もありえるしね。


200 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/15(日) 20:18:49
>>199
あなた凄く偉い人なの?
その割と何にも言ってないけど、
冷やかしなら辞めてくれ。

201 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/16(月) 07:42:10
>>199
正一位って尋常なランクじゃ無いですね。
ところで、
千如寺の近くの雷神社の祭神って誰ですか?

202 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/16(月) 14:27:57
彦火火出見彦命、香椎大神、住吉大神、応神天皇だって

福岡県の山紀行(2)
http://homepage3.nifty.com/ishildsp/kikou/fukuoka2.htm

203 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/16(月) 20:51:53
☆   神社・国造・社家の歴史   ☆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1043927485/l50

851 :日本@名無史さん :2006/10/09(月) 17:16:50
寺=庶務雑用をする役所、漢代に西域から来た僧を鴻臚寺と云う接待所に泊めた為、仏寺に用いるようになった。
社=中国古代の地縁的結合社会を象徴する土地神。また、それをまつる場所。
宮=国王が住む御殿

漢字それぞれの元々の意味を調べると、
現代日本の使われ方とは少し違っている事に気付く。

しかも「み」「や」と云う音は、古来日本では最上級の尊冠詞である。
国造の訓にしてもかなり可笑しい。
はたして当時、国造=「くにのみやっこ」と発音していたのだろうか?

>>846は通説を述べたのかもしれないが、
これは記紀作者による創作だと考えられないだろうか?
あまりにも恐れ多い音で呼ばれる地方役人だと考えられるからである。
この当時の氏族名には既に、
地名を冠して〜連〜縣主等が使われている事からも、疑いは強くなるのである。
封建的な上下関係の中で、上下を乱す職名も、八逆の罪とはならなかったのだろうか?

874 :日本@名無史さん :2006/10/14(土) 14:43:44
神社と神宮があるでしょ、
これは
神+社 社=中国古代の地縁的結合社会を象徴する土地神。また、それをまつる場所。
神+宮 宮=国王が住む御殿
と考えて頂ければ、もう少し分りやすいと思います。


     コメントは別記します。


204 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/16(月) 20:56:01
870 :日本@名無史さん :2006/10/14(土) 09:20:36
>>851
>はたして当時、国造=「くにのみやっこ」と発音していたのだろうか?
>あまりにも恐れ多い音で呼ばれる地方役人だと考えられるからである。
確かに可笑しな話だね、
当たり前の通説も、改竄だと考えてもいいかもしれない、
「宮」とかは「行宮」とかでも、一度は天皇が言った場所にしか使わていない、
和名抄の地名も「宮」付きは、天皇絡みのようだ、
>宮=国王が住む御殿
の意味を古代人は守っているようである。
「みや」と言う訓は気楽に使えたとは到底考えられない。

参考までに、
「宮」+「つ」+「子」で、「つ」は接続詞であり、「天皇の子供」の意味にとれる。
「御」+「奴」の説は、古代に「やっこ」と言う使用例が見当たらないことから、
こじつけだと考えられる。
あと記紀作者は、明らかな間違いを、後世の人が解るように、
幾つも挿入している事も、申し添えておく。


205 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/16(月) 20:59:24
>>870
>「天皇の子供」
は面白いですね、
ニニギの子孫とか、記紀の上では天皇の子孫以外も、
国造になっています。
だけど本当は、「天皇の子孫しか、地方の役人になっていないよ」
というメッセ−ジなのかもしれません。
実はそれを裏付ける説もあります。
いずれにせよ、不自然な訓である事は確かですね。

普通に「くにつくり」で良かった事ですよね・・・・・



     
  コメント
順不同ですみません。
宮を新たに考え直す斬新な説です。
宮を当たり前に考えすぎていた事に気付きました。
参考に思い貼り付けました。

206 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/17(火) 18:19:05
>>205
貼付見て調べてみました。
延喜式に神宮や○○宮の神社が幾つあるか?
宇佐宮
筥崎宮
鹿島神宮
香取神宮

予想以上に少なくて驚きました。

207 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/17(火) 20:49:12
>>206
伊勢の伊勢神宮からみは、
○○宮がかなりあるよ。
5社あるね。
だけど明神大社じゃないよね。

208 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/18(水) 19:43:43
>>206
なるほど
確かに宮って普通に使われてなかったみたいだね。

209 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/18(水) 19:59:40
>>206
すると関東に都があったってことか?

210 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/19(木) 17:07:29
関東?

211 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/19(木) 23:01:06
>>201
正一位もそうだけど、
一品宮=吉備津神社も神階らしいね。

212 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/20(金) 07:39:30
>>211
いずれにしても一番古いとか、一番偉いとか、の基準だろうね。

213 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/21(土) 12:41:02
>>211
一品も正一位も一番上だと考えられるね
元々は同じ祭神だったんじゃないだろうか?
そしてその神は始祖神じゃないのかな?

吉備津彦なんて、中途半端な地位だけど、
知名度といい神格といい、
矛盾が大きいね。

214 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/21(土) 20:50:44
>>206
宇佐も筥崎も、同じ大分八幡宮が、元宮だよな


215 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/21(土) 22:26:08
磐座(いわくら)
磐の斎場がある大神神社の三輪山山頂に古代を感じる。
他の神社でこーゆー所あったら教えてチョーダイ

216 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/22(日) 14:48:56
>>208
今時
宮付きの名前や地名は当たり前だけど、
それが自由になったのは何時からかな?

217 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/22(日) 16:07:46
宮様=皇族が
主権者から落ちた
平安時代からだろ

218 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/22(日) 20:09:08
現在の王権用語の氾濫から云って、
古代にはかなり強い王権があった事は、
言葉からも解ります。
その王権が古代全国に強い影響力があったから、
現在の天皇に至るのでしょう。
以降の天皇に、劇的な活躍が認められませんから、
どうしてもそう考えざるをおえません。
資料が少ないのは、記紀の改竄ですが、
本当に残念ですね。

219 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/23(月) 00:28:48
>>217
だから
宮付き神社は平安末期で僅かだよ!

220 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/23(月) 20:55:11
神って上だけなのかな?

221 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/24(火) 22:19:44
>>206
和名抄で、
鹿島神宮・常陸
香取神宮・下総
の郡や郷は尋常じゃないね。
ただの地方とはとても思えないよ。
宮・・・なんかあるかもね

222 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/25(水) 20:48:04
>>221
いずれにしても西に主体勢力があったんじゃないかな?

利根川河口は凄く歴史深いようだけど、
疑惑の都=九州よりも、
インパクトが無いんじゃない。

記紀が都と言っている畿内なんかも、
記紀関連の記述を総て除くと、
殆ど無くなるけどね、
それでも関東よりは、
多くの資料数があるから、
楽勝かな。

まー残念だけど、関東には資料が少なすぎるんだよね。もっと調べれば可能性あるかもね・・・

223 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/26(木) 21:27:14
鹿島ってしかしまだよね

224 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/27(金) 00:37:03
>>215
諏訪大社上社(前宮&本宮)

225 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/27(金) 13:22:16
>>223
しかうみじんじゃとの関連は確実だね
海伝いでなければ、
あんな辺鄙なところに神社は可笑しいね



226 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/27(金) 23:59:13
志賀海神社と、
鹿島神宮、
もし関連あっても、
今も昔も釣り合わないね。

227 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/28(土) 09:12:57
海部つながりの、移転先じゃない、元住所は比較的、廃れるしね。

228 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/28(土) 16:41:28
畿内への移設された神社仏閣の移設元は、
北九州で殆ど確認されています。
しかし移転後直ぐに衰えた処が殆どのようですね。


229 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/28(土) 22:28:47
>>226
確かに鹿島の鹿のように「か」と読ませると別物に感じるよ。
こんな風に、少しずつ名前を変えている処も確認できるよね。


230 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/29(日) 03:16:26
>>229
でも、そもそも海洋民(安曇族)が創建したという「海の神社」のシンボルが
狩猟の幸であるシカであるということを奇異に感じないかね?
鹿との関連は地名に基づく連想からの単なる後付けだろうよ。
これは関東の鹿島神宮も同じとも言えるが、
こちらはそもそも海洋民の創建なのか微妙なところがある。
中臣氏、さらに古くは多氏と海洋民との関連は分からない。
強力な地下水脈の上に乗っていて、本質は水神っぽいところがあるね。

231 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/29(日) 08:10:03
>>230
想像だけか?
だれか「鹿」を動物の鹿だって言った奴居るのか?
妄想だけで発展されても、誰も付いていけないよ。

232 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/29(日) 16:26:05
武甕槌と志賀大神は同じ神だろね、
違っても近親だよ。

233 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/29(日) 17:04:32
>>225
古代日本では、海上交通の方が主流だったんだろうね。

234 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/10/30(月) 20:19:21
「しか」って鹿だけじゃなく、アシカやカジカのように獲物に使われたんだろ。
鹿をししとも読むし、鹿=しかで、陸の狩猟物と「しか」を判断するのは短絡的です。

235 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/01(水) 07:48:04
>アシカやカジカのように獲物
なる面白いですね・・・ありえますよ

236 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/01(水) 18:26:30
銅鐸って宗教からいったら何だろ?

237 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/01(水) 23:03:53
寺の鐘じゃね

238 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/02(木) 07:39:11
寺なら埋める理由が解らないね?

239 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/02(木) 20:38:04
有名大社の賀茂地名に、
銅鐸がちょくちょく埋まっているよな、
神社の鐘じゃないか?

240 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/02(木) 22:59:06
鐸=大きな鈴、
漢字の意味から、
鐘としか考えられないでしょうね。
現在の学説で銅鐸の使い方に、
疑問を抱くなら、
名前を先に変えるべき、
ごまかし日本史の一端ですね。

241 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/03(金) 11:01:12
すると銅鐸は神社の鐘とおっしゃりたいようですね。

242 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/03(金) 12:35:35
ゴーン

243 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/04(土) 10:27:36
銅鐸が賀茂地名で埋められた
しかも関西周辺にて発掘される。
宗教祭祀器具とすれば、

そして日本の宗教争いは、
記紀の上では一つしか記録されていない、
蘇我VS物部の神仏争い、

この際負けた、物部の本拠や逃げた地域が、
関西で賀茂地名なんじゃないのか?

あんまりこの仮説聞かないけど、
銅鐸の証拠立てた説は、
これ位しか出来ないんだよね。

244 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/04(土) 14:19:18
>>243
なるほど
証拠だった説であることは確かですね。
注目すべきは、勝った蘇我は、関西以外に居たとしないと、この説は説明できない。
だから合理的であっても、通説として考えられないのかもしれませんね。


245 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/04(土) 15:28:52
道教の大極図は二つ巴
有名神社に多々見られる三つ巴
これどう見ても同じものだよね、
その他にも、道教と神社の繋がりは多いよね。

246 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/04(土) 18:03:15
流産した胎児の形を生命の原初態として図像化したものが勾玉であり
巴形なのかもしれない。
三つ巴は鞆や水の紋様の図像化って説が一般的っぽいけど、魂の象徴なら
和・奇・幸魂の象徴ともとれる。父・子・聖霊でもいいよ。

247 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/04(土) 20:01:56
>>246
少し考えすぎですよ・・・
流産した胎児がなんで、宗教の象徴として印になるの?
母体内なら解るけど・・・
貴方は何処かの、悪い信仰でもやってるの?

あと分身分霊は、基本的には仏教ですから、
道教や神社とは、そぐわないですね。

248 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/04(土) 23:09:34
まさか、こんなマジレスが返ってくるとは・・・
ここってほとんどネタか妄想を書き込む板だと思ってた。ごめん。

249 :ゆうた:2006/11/04(土) 23:23:44
神頼みはもうしません。神社は怖いです。神社の夢もよく見ました。

好きなお寺があります。そこに行く時はノーメイクで、お参りする前には手と口を洗ってきれいにしてお参りさせてもらってます。
まあ、そういう場所に行く時はいつもそんな格好だと思うけど。
大事なのは外見じゃなくて心だと思います。まだまだ私も修行中です。

250 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/05(日) 00:02:59
>>245
確か寺院でも三つ巴は良く見かけますね
仏教=神道=道教の繋がりを感じます。

251 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/05(日) 09:56:42
>>244
蘇我氏はやっぱり九州の王だったのかな?

252 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/05(日) 11:32:49
>>243
となると、神社でも鐘を突いたのかな?
神仏混合で、お互い感化されたのかも知れないけど。

253 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/05(日) 11:58:12
>>252
今でも鈴を鳴らす所は多いし、時々鈴が、ちいさな鐘なんて所もある。
神仏習合の名残もあるけどね。
手拍子打つ事自体、音を出す事が神事なんだろうね。

254 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/05(日) 17:54:30
神社にも音は付き物だから、
鐘のような、銅鐸を使っても不思議はないね。
ちなみに現在の梵鐘も、
殆どが青銅製で銅鐸と一緒。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E9%90%98

255 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/05(日) 20:19:00
>>250
電電太鼓の三つ巴、これ雷の神のマークだよね。やっぱ神社のマークの印象が強いね。

256 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/07(火) 21:37:07
>>254
雷も音だし、銅鐸も音か・・・

257 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/08(水) 16:16:46

神像破壊はどうだろう。いろいろある。

偶像崇拝をしないイスラム教徒の他宗の神仏像破壊の話ではない。
洋の東西を通じて、なにかを神像に頼み、願いが叶わないと神像を壊してしまうことはある。
この場合、願いことは叶わぬことが多いだろうから、いくら神像があっても足りない。
京都の五條天神は、天皇が病気になったり災害があると、流罪に処せられたという。
もちろん流罪といっても形だけのものだが、本来、無事を管理する神の懈怠を罰して、
神を働かせるという期待がある。神の使役という意味では中国思想の影響がある。

縄文の土偶破壊は、豊穣祈願のためのものらしいが、破壊する理由が定かではない。
生贄にみたてた土偶を殺して(壊して)捧げるという儀式かもしれないがはっきりしない。

仏教でも、地蔵については、叩いたり、放り投げたり、水に漬けたり、水や油をかけたり、
あの手この手でいじめて霊験を発揮させようとするところが多い。



258 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/09(木) 00:03:11
痛めつけることで呪力を高めるって考え方があるのかな?
犬神とか蠱毒とかそんな感じだが

259 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/12(日) 09:07:08
お寺に家紋があるって可笑しいよね?

260 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/12(日) 17:09:11
琉球王朝(琉球藩?)の紋も三つ巴だよ
カラフルですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD

261 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/13(月) 20:35:10
神々はやっぱり中国の影響が強いよね。

262 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/16(木) 07:47:54
賀茂郷に賀茂神社があるとは限らないよね。

263 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/19(日) 17:30:49
賀茂神社って、賀茂本家の単なる出先機関なんだろ。
加茂郷に加茂神社があったのさ。

264 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/22(水) 07:44:36
加茂にある神社に、加茂が無ければ、加茂の別称だと考えるべきかな?

265 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/26(日) 16:09:17
香取神宮は鎮座地は、
元々舵取郡と呼ばれていたそうだよ。
だから舵=かし=香椎だったのか、
福岡の香椎宮がアレだけの由緒を持ちながら、
式内社にも、諸国○宮にも、
選ばれていない理由が解ったよ、
香取神宮の元宮だったんだ。

266 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/26(日) 21:06:01
神道って道教がルーツですね?

267 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/27(月) 02:44:30
>>265
舵は歴史的かなづかいで「かぢ」つまり古音は[kadi]
香椎は「かしひ」古音は[kasipi]
全然違いますから。残念w

268 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/27(月) 20:41:31
>>267
残念は君だよ、
そんな近似読み替えは、
幾らでもあるんだよ、
和名抄でも見てみたらどうだい、
それに古代から現在までに、
清音と濁音の使われかた勉強したの?
全然違うのは君じゃないのかな?

269 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/28(火) 00:16:24
>>266
かなり影響受けてるようだけど、ルーツってのは正しくない。


270 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/28(火) 01:42:49
>>268
一体、出鱈目な民間俗説以外で[d]と[s]が上古において
混同する場面なんて言語学上どこにあるのかね?
サ行子音は歴史上ブレまくっているが、
タ行子音は上古では殆どぶれていない。口蓋化するのは中世、
四つ仮名が混同されるのは16世紀の話だ。
俺は一応言語学としての国語学上の有声音の発生についての諸説は
一応基礎知識として知っているが、
得体の知れない民間古代史俗説の妄想などは知らんよw

まあ、言語学上出鱈目な通音を連発して語源妄想に浸るのは、
古今東西を問わず、電波俗説の基本手法だからね。

271 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/28(火) 07:12:16
教科書でも読んだのか?通説通りなら、ここに書き込まないよ!
実際に混同されてるところ、倭名抄で確認しろって書いたのに、読めないの?


272 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/28(火) 22:39:55
>>265
鹿島と志賀島と、
鹿島と香取の位置関係も、
それを補足するね。

273 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/29(水) 02:46:38
>>271
通説通りじゃなく、新説をぶち上げるのだから
おまえさんのほうに挙証責任があるんだよ。
否定の証明は実質不可能だから、俺は論理的に「証明」する立場に無い。
こんなことはそもそも議論のイロハなんだけどな。
おまえさんのような九州電波民俗「学者」に通じるかどうか怪しいがw

まずおまえさんが、「倭名抄」において該当する音韻変化の例を挙げ、
それが例外の無い比較言語学的に完全な法則であることを証明する必要がある。
「音韻法則に例外無し」が、比較言語学・語源探求の基本中の基本だ。
例外が生じた場合には、その例外を説明する「例外の無い法則」を導く必要がある。


まあがんばってくれw

274 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/29(水) 08:12:15
>>273
余裕出す前に、文章読み返したほうがいいよ。

>例外が生じた場合には、その例外を説明する「例外の無い法則」を導く必要がある。
これどうする?
>おまえさんのほうに挙証責任があるんだよ。
>否定の証明は実質不可能だから、俺は論理的に「証明」する立場に無い。
どうして?

平安時代の百科事典も調べないで、
教科書しか読んでないなら、
突っ込まないほうがいいよ。

275 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/29(水) 09:40:09
>>273
小学校で主語述語って習わなかった?
暗号ですか?

276 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/29(水) 12:28:33
古代の音で、しSHIの濁音は、ぢDHIじゃないのか?
何も問題ないだろ?

277 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/29(水) 21:05:17
>>276
それはここでは内緒なんだよ。

278 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/29(水) 21:27:05
>>274
悪魔の証明も知らんのか。もはや何も言うまいw
悪魔の証明や挙証責任も知らずに何の議論ができようかw
そもそも言語系統論や語源探求論は
悪魔の証明スレスレのところに向かわざるを得ないので
よほど確固とした仮説を立てられた場合以外、
まともな言語学者は滅多なことでは手を出さない分野なんだけどね。
それでも手を出した香具師は、他にどんな偉大な業績を上げていても
大抵ここでしくじってただの電波になってしまう。大野晋が典型だがw

まあ、おまえさんは福岡で郷土史の電波本でも出版して
地元民と一緒にホルホルしてろってこった。
福岡人なら温かく迎えてくれるだろうよ。

279 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/29(水) 21:37:08
>>278
>悪魔の証明も知らんのか。もはや何も言うまいw
是非そうしてください。

280 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/11/30(木) 11:13:54
>>272
kajima sikasima
kajitori kasihi
変化の法則まで良く似ていますね。


281 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/01(金) 21:05:11
>>270 >>278
あなた挙証責任の意味を取り違えているよ、
しかもそのメチャクチャな理論の説明は、
何処から持ってきたの?


282 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/02(土) 16:31:47
伊勢神宮の元宮は、福岡県久山町猪野の猪野皇大神宮です。
http://members.jcom.home.ne.jp/sachiyama2/page064.html
http://iris.hita.net/~city/kanok/nea/q32.htm

283 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/02(土) 19:23:21
>>281
別に間違っちゃいないんじゃない?
言いだしっぺは>>265だから、>>265がまずはこれの証明責任を負う。
その際、要件事実?として倭名抄の該当箇所を挙げることが要求されるだろう。
>>270は確かに>>265通音の不在を主張しているから、
これ自身の証明として「倭名抄の例を挙げる」ことは実際問題として出来ない。
全文を挙げなければいけなくなるからね。

だが、こんな板で畑違いの感は否めないな。かなり無理矢理だw

284 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/02(土) 21:15:13
>>283
君はたしかに無理矢理言いすぎだよ!
何が言いたいんだ?
通訳が要るよ君はw

タ行がぶれるとかってなんだ?
タ行なんて何処にも出てないぞ?
君しかわからない事を、みんなに説明してから、
認証責任も話した方がいいよw
当然どっちも当然認証責任はあるよw

しかし古代の「し」の濁音は「ぢ」なのに、
何か間違いが有ったのか?
必死に違うって言ってる事ってなんなんだよ?w
さっぱり解らないけど?w

285 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/02(土) 23:42:14
えーと。多分、ザ行の子音が [z], [3], [dz], [d3] とかいろいろあった可能
性があるけど、ダ行の子音は、四つ仮名の混同が起るまで [d] だという意図
だと思うよ。

ジは/zi/で万葉仮名なら「自」など、ヂは/di/で「遅」などで発音がちがうのは
知ってるはず。

ちなみに「舵」は「舵子」(カコ)、「八十舵」(ヤソカ)のようにカとのみ読む例
が知られている。

清音から濁音の変化はいろいろあるので省略するけど、シとチの交代は「母父」
オモチチに対して東国方言のアモシシとかがある。けど、二段階のシとヂの
交代ってのは類例が思いつかない。


286 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/03(日) 09:58:30
>>285
古語辞典ももってないんだろwww

287 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/03(日) 10:15:58
可哀想だから教えてあげるよw
日本人が古代から現代にかけて、
じZIの音をどう発音しているか知ってるのか?
ぢDIとしか発音してないんだよwww
口にだして言って見ろよ!
「ざじずぜぞ」が「ざぢずぜぞ」になってないか?
つの音がTSUになるのと同じで、これ基本じゃないのか?wwwww

288 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/03(日) 11:04:23
ネタ投稿する人は、ハンドル決めてトリップつけるっていう麗しい伝統は
どこに行ってしまったんだろう。

人気者になりたいっていうのじゃなくて、人が反応するのが楽しいんだろ
うけど、それって放火犯レベルだよね。

よっぽど寂しい実生活おくっているんだろうな。かわいそうに。


289 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/03(日) 13:04:37
>>285
>ジは/zi/で万葉仮名なら「自」など、ヂは/di/で「遅」などで発音がちがうのは
>知ってるはず。
御免知らないんだけど、詳しく教えて。

290 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/03(日) 23:52:42
スレ違いだけど、
明治の頃に、小学校の先生に土佐の人たちがよく採用されたという話を思い出した。
理由は「ジ」と「ヂ」を分けて発音できる人が多かったから。

ソースは…司馬遼太郎の本だったった…かな?

291 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 01:18:19
>>289
日本語史の本とか日本語学の辞典とか見てくれた方がいいと思うけど。

奈良時代以前は、日本語を書きたけりゃ、漢字で書くしかない訳だけだ。
当時は、漢文を外国語としてやったし、バイリンガルとかトライリンガル
な帰化人系もいたしで、ちゃんと漢字書けるやつは中国語ペラペラの奴。
したら、中国語のつもりで書き分ける。こいつらジには自士仕とか、ヂに
は遅治地とかを使って混同がない。ちなみにシは之思志とか、チは知とか。
つまりは中国語使ってた奴らからしたら、全部が別の発音。

平安に入ると、ひらがなで書くようになったけど、これは母語話者向け
で分かりゃいいから手抜きして清濁の区別とかしなくなる。その内、発
音は変化してったのに先人の通り書かなきゃと思い込んじゃった。で、
「仮名遣ひ」をお勉強、つまり書き分けを暗記する羽目になる。

発音の変化は、方言によって違うから、ジヂズヅの区別を残してる人も
まだ生きてる。有名なのが、>>290 さんの土佐(の一部)とか、山梨の奈
良田。


292 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 09:57:57
言い訳なのか?
反論にもなってないから笑える。

293 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 17:45:29
土佐とか山梨のの奴らは、
爺様を「じさまzisama」と言うのか?
俺の知り合いの高知県人も、
「ぢさまdisama」と言ってたけど。

しかし「じzi」って音は、一体どの言葉で使うの?
それに千葉と茨城と北九州の人も使い分けできたの?

日本人って「じ」の音が発音できても、
「じ」って書いても「ぢ」って発音している事が殆どだけどね。

294 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 21:18:09
>>291
父ちちtiti
爺じじzizi
この変化の説明して欲しいwwwww

295 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 21:22:12
おまけ・・・可哀想だから
母ははhaha
婆ばばbaba
この変化に問題と対応すべきだろうねwwwww

296 :289:2006/12/04(月) 21:53:44
>>291
馬鹿相手するとコッチも馬鹿になりそうです。

297 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 21:59:27
>>293
爺は「ぢぢ」だから。恥「はぢ」と端「はじ」でも発音してもらって。

京都で混同が起り始めたのは、室町の中頃で元禄には完了の模様。東京堂の
『国語学辞典』にはジとヂを区別する方言が九州東北方言の中にも残ってる
らしいという記述がある。

東国方言では混同は早く、日蓮さんは混同してる。常陸風土記では、地名の
語源の話で混同の兆しがある。

小難しい用語を使うと、/i/ の前で /d/が硬口蓋化して、破擦音になった[d3]
と /z/ が硬口蓋化した [3] が混同されるという話。


298 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 22:02:31
>爺は「ぢぢ」だから。恥「はぢ」と端「はじ」でも発音してもらって。
お前これを発音別け出来るのか?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

299 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 22:20:52
イントネーションを平坦に口に出して下さい。
沢山ー酢酸
地図ー静
 鶴ーする
 敵ー席
 虎ー空
これみんな、強調しないと、なかなか聞き取れないよね!
タ行とサ行の混同から勉強しなおすべきだろうねwww

300 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 23:29:45
ここは馬鹿がくるとこじゃないですよ

301 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/04(月) 23:42:00
270 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/11/28(火) 01:42:49
>>268
一体、出鱈目な民間俗説以外で[d]と[s]が上古において
混同する場面なんて言語学上どこにあるのかね?
サ行子音は歴史上ブレまくっているが、
タ行子音は上古では殆どぶれていない。口蓋化するのは中世、
四つ仮名が混同されるのは16世紀の話だ。
俺は一応言語学としての国語学上の有声音の発生についての諸説は
一応基礎知識として知っているが、
得体の知れない民間古代史俗説の妄想などは知らんよw

まあ、言語学上出鱈目な通音を連発して語源妄想に浸るのは、
古今東西を問わず、電波俗説の基本手法だからね。


302 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/05(火) 07:48:08
>>301
凄いよ!
ここまで自身満々で、
滅茶苦茶な電波は、
なかなか見たことないね。

303 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/06(水) 20:33:52
落ち着きました?改めて・・・
伊勢神宮の元宮は、福岡県久山町猪野の猪野皇大神宮です。
http://members.jcom.home.ne.jp/sachiyama2/page064.html
http://iris.hita.net/~city/kanok/nea/q32.htm


304 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/08(金) 16:58:26
>>303
伊勢神宮の麓に山田があるし、
伊野皇大神宮の麓にも山田があるんですね。
山田って邪馬台国とかに通じるんじゃないですか?

305 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/09(土) 17:28:05
天照=卑弥呼は、多くの人が指摘してるね。
僕もそうだと思っている。
神社伝承でも、
天照=日霊女(ヒルメ)と読ませているけど、
明らかにヒルメと誤用の読みに固執しているしね。
天照大御神が紀元前に存在した事も、
考古学的に不自然だよね。
山田=邪馬台も満更可笑しい話じゃないよね。

306 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/09(土) 20:51:31
やはり殆どの神社の起源は九州なのかもしれないね。

307 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/10(日) 00:13:28
巨大な岩や山や川やらの精霊を信仰し祀る場所という意味での神社なら、九州に限らず
縄文の頃から全国的にあったように思える。

308 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/10(日) 13:53:39
>>306
殆どが消されているけど、
僅かに証拠があるんだよね。


309 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/10(日) 16:26:53
>>308
賛成です。
京都の古社である、加茂や松尾等は、
平安京が出来る前から、元々京都にあったと、主張しているが、
なんで山背(やましろ・山の後)と、呼ばれるほど僻地であった京都に、
最初から鎮座したのか説明ができないのです。
冷静に考えれば、平安遷都後の移設で、
それ以前は別の場所にて、古くからあったと考えるべきなのです。
その補足として、平城京の鬼門にも、式内の鴨神社が有り、
太宰府の鬼門にも竈門神社がある。
移設の痕跡は少しずつ確認できる事も申し添えます。

310 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/12(火) 20:33:12
>>309
寺社由緒だけ見ても、
畿内寺社にはろくに独自伝承は残っていませんね。
記紀と元宮から持ち込んだ伝承だけなのでしょうね。
それに比べ北九州の寺社独自伝承の豊富な事には驚きます。

311 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/13(水) 20:17:32
>>304
大宰府天満宮所蔵の『翰苑』では、
邪馬嘉国とかかれています。
最近は邪馬台と邪馬壹の議論に終始して居ますが、
邪馬○と考え、範囲広く検討を加えるべきでしょうね。
山田は確かに怪しいとおもいます。

312 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/14(木) 00:28:42
山田なんて地名は日本中にあるし、
山田=邪馬台国の可能性はあるにしても全部調べるのは難しいよなあ・・・・

313 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/14(木) 21:37:11
>>311
山○地名は、不思議と重要地点の最寄にありますね。

314 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/15(金) 20:20:05
元伊勢は奈良から始まった訳じゃないの?

315 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/15(金) 21:25:35
>>314
違うよ、
その証拠は北九州にたくさんあるよ。

316 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/17(日) 00:32:38
最近のレス見てると、「○○は朝鮮起源」と同じレベルですね。
朝鮮<->九州

317 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/17(日) 10:30:36
武内宿禰を祀る織幡神社の由緒によると
宗像大神は1人の男神で、武内宿禰と共に三韓征伐で戦ったとの事。

このように北九州には通説と相反する伝承が沢山あるのですが、
この相反する伝承の方がしっくり来るのですよね。
宗像3女神のように、並列の神は不自然だし、
交通の神が女神なのも解せないですよね。
良く考えてみれば通説には、盲点がかなりあるんですよね。

318 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/17(日) 10:51:02
>>317
それに比べて
畿内の神社由緒は矛盾の宝庫だね。
大神神社と桧原神社の由緒どうしてくれるんだろ?
大神神社は最古の神社を標榜しているらしいし、
その摂社の桧原神社は元伊勢の元祖なんだって、
卵が先か鶏が先か結論出してほしいよw
しかも近くの景行天皇陵が上記二つの後に出来る訳ないし、
こいつらのマトモナ矛盾の説明は聞いた事ないから、
一段と笑うよねwww

319 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/17(日) 13:25:01
>>318
だって畿内の古墳なんて単なる豪族の墓を、
天皇墓と騙しただけだし、
伊勢も大神も北九州の別々の場所に、
蘇我時代まであった訳だから、
奈良盆地は移設と改竄指定の特別地区なんだよ。

ちなみに移設の理由は軍事防衛目的だけだろうね。
直ぐに遷都して京都に移った事もそれを補足するからね。

320 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/17(日) 22:58:40
>>312
調べて見ると簡単だよw

321 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/17(日) 23:51:31
>>315
>その証拠
証拠提示希望

322 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/18(月) 00:16:43
>>321
馬鹿は希望してばっかいるから、
ちっとも進化しないんだよwww
調べろよ!みっともねーぞ!wwwww


323 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/18(月) 00:28:21
>>322
315にレスしたんだ。あんた関係ないだろ。

324 :315:2006/12/18(月) 18:10:34
調べろよ


325 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/19(火) 20:53:54
>>311
何で太宰府天満宮にしかないんだろ?

326 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/20(水) 21:28:38
極論と言われても仕方ありませんが、
故宮博物館が台湾にある事と同様に、
翰苑が太宰府にある事は、
当時の日本が、
よき時代の中国の亡命政府だった可能性も、
否定出来ないと思います。
当時は今の中国とは、
全く違う中国だったと考えられますからね。

327 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/20(水) 22:14:15
歴史書の抜き書きで、しかも二流のやつを、唐への留学生がたまたま
コピったのが、たまたま残っただけ、と考えるのが妥当なんじゃない
か。残ってるのは、日本関係が入っている巻だけだし、誤字脱字のオ
ンパレードだし、書体から考えられる写本の時期は、作られてから時
間も経ってないし。


328 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 20:50:34
>>327
君は中国と日本にある前方後円墳についてどう考えているんだ?
どうも日本の前方後円墳の方が新しいようだよ。
イデオロギーは抜きに語ってほしいけどね。

329 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 21:16:49
>>327
その後の時代に、
太宰府のような地方神社にて、
日本関係だけでも残す努力がされた、
と考えるべきじゃない?
太宰府がずっと金回りのいい、
役所だった訳じゃないからね。

330 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 21:43:46
>>328
翰苑の写本は9世紀。翰苑自体が唐代のものなのになんで亡命が
出てくんねん。

前方後円墳は、日本でも7世紀まで。朝鮮半島南部だと6世紀まで。
時代が全然ちゃうやん。半島以外の大陸で確かな例があるならポ
インターを示してね。


331 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 21:51:09
>>330
はいはい参りました

332 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 21:54:58
http://www.banri.net/naniwa/kofun/
いっぱいあるよw

333 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 22:01:27
>>330
その時代設定って大丈夫なのか?
俺は可笑しいと思っているよw
説明してくれ、
なんで同じ大きな墓が、
中国にも韓国にも沢山あるんだ?

君はその時間設定でどう説明してくれるの?

334 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 22:01:48
>>329
唐との行き来の途中に太宰府によるさかいと考える方が自然。

>>332
発掘してから寝言は言え。写真でそれっぽいの探しただけやないか。

335 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 22:03:44
>>334
流石だねw

336 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 22:20:41
>>334
それっぽいのがなんであるんですか?
貴方の深い御考察で、
我々凡人にも解り易い様にご説明下さい。
お願いします。

337 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 22:42:20
○も□もよくある形だし、それが隣接してるのは探せばいくらでもある。
それだけじゃないのか。


338 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 22:48:26
東アジア以外は探したのか?
なんでEUに無いんだ?
説明しろ!!!!!!!!!!!

339 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 22:53:38
いつも無防備過ぎないか?恥ずかしいと思わない?

340 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/21(木) 23:09:13
>>337
お前の頭がそれだけなんだよ!w

341 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/22(金) 19:55:12
秦の始皇帝の鷲鼻を、今の中国人が引き継いでいないよね。
むしろ日本人の方が、中国人に比べ鷲鼻の人が多いね。
中国人はそっくり入れ替わった、とすら主張する人達がいるよね。

342 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/22(金) 20:09:59
秦の始皇帝はユダヤ人だから鷲鼻。
その子孫の秦氏が日本にユダヤ教を伝え、皇室の礎となった。
始皇帝とその後のキツネ目チャンコロは血の繋がりはないのだ。

343 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/23(土) 09:33:13
>>341
始皇帝陵と日本の古墳の類似性は、
学会でも無視されていますが、
その影響受けた種族が日本に来た事は伺えますね。

344 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/23(土) 10:31:52
>>329
>その後の時代に、
>太宰府のような地方神社にて、
>日本関係だけでも残す努力がされた、
>と考えるべきじゃない?
>太宰府がずっと金回りのいい、
>役所だった訳じゃないからね。

同意するよ。

345 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/23(土) 11:07:31
翰苑のある太宰府天満宮の祭神は、
現在菅原道真とされていますが、
明らかに後付けの祭神であり、
道真以前から太宰府の歴史はあるそうです。
その後も焚書の影響の中、運良く残った物が原本ではなく、
繰り返し写された物だったのではないでしょうか?

346 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/23(土) 12:39:09
>>345
たしか元祖は雷神だよね。


347 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/23(土) 16:39:41
宗像大社は交通の神様で、
あの位置に鎮座するのは可笑しいよね。
よく言われているけど、
佐賀の田島神社が元宮として、
納得がいくよね。

348 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/23(土) 21:21:38
北部九州の神社って小さな神社にも由緒があるんだよな・・・

349 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/23(土) 22:23:38
>>341
確かに日本人の女の子の方が、
西洋受けするらしいね。

350 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/24(日) 10:04:20
アゼルバイジャンの女の子は、
完全なる白人ですが、
日本人似てる顔が多いですね。

351 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/24(日) 11:19:26
法隆寺移設説についてどう思いますか?

352 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/24(日) 12:21:16
http://www.geocities.jp/waikoku/
移設の米田さんとか書いてあるよ。

353 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/24(日) 16:46:06
米田良三氏は、その著書で
「今に残る、法隆寺・東大寺・薬師寺・長谷寺・法輪寺・法起寺・
興福寺・東福寺はいうにおよばず、三十三間堂・桂離宮等々、
これらあまたの建物が、九州倭国より移築されたものである。」
と述べておられます。

354 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/25(月) 22:12:49
>>353
飛鳥の遺跡の貧弱さは、移設説を裏付けますね。

355 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/26(火) 21:31:27
霊験高い奈良の神社はないね。
移設後神社ばかりだよね。

356 :師走の末は_・∀・_熱田神宮へどうぞ!:2006/12/27(水) 08:26:50
関西の神社による由緒剽窃問題に関しては、
北野天満宮とか平野神社のような完全にパクって現安泰なものはともかく、
後になってバレちゃったものとか悲惨だよな。住吉大社とか。

357 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/28(木) 13:16:31
>>356
バレマスよね、
何にも無かった所だもん。

358 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/28(木) 19:16:27
もともと住吉は福岡が元祖を主張してるよね。
貧弱な大阪難波京と同様、古代島だったような、矛盾が多い場所だよね。

359 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/28(木) 19:30:22
ハァハァ・・・・・・・ハァァァァ

360 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/28(木) 20:58:44
>住吉大社

今でこそ福岡の住吉神社のほうが歴史が古いということを認めてるが、
(wikipediaなんかでも苦肉の表現で記載してあるな)
江戸期までは「住吉発祥の宮」と謳っていたと聞く。

ちなみに、住吉の元祖は博多住吉神社ではなく、福岡県筑紫郡那珂川町の「現人神社」。

361 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/28(木) 23:45:58
>>360
それ以上遡れば?

362 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/30(土) 09:56:31
>>360
HPの受け売りだろうけど、
住吉の元祖を主張している神社は、
九州にはまだまだ沢山あるよ。

363 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/30(土) 13:04:21
大坂住吉は島だった

364 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/30(土) 20:47:02
>>362
現人神社に公式サイトなんてないよ。

365 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/30(土) 20:51:56
>>362
なんの話しているんだ?www

366 :師走の末は_・∀・_熱田神宮へどうぞ!:2006/12/30(土) 21:02:00
自身が議論を促進する書き込みをしておきながら
こういうこと言うのは顰蹙必至かもしれないが、
言う。

こういうスレ見るとつくづく思うのだが、
確かに真実の探求は大切なことであろうし、
historyの原義を鑑みてもそれは高尚なる態度であると言えるのだろうが、
しかし、だ。心情的な面で、やらないほうがいいことってのもあるんじゃないか?

この際はっきり言うが、いわゆる関西、もっと言えば関西人から
「歴史」を外したらどんなことになるか想像することができるかい?
自尊心だけならまだしも、彼らにとっては、アイデンティティの完全な崩壊をも及ぼしかねない問題だろうよ...

367 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/31(日) 07:29:17
>>366
君の文章みると、
知的なオシゴトに就いて居ない事はわかるよ、
あんま背伸びしない方がいいぜw


368 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/31(日) 14:30:56
>>366
ほんと豚臭がきついですねw


369 :師走の末は_・∀・_熱田神宮へどうぞ!:2006/12/31(日) 16:44:36
大晦日についたのがザコレスだけかよ。
まあいいとりあえず心に留めといてくれ。
なんでも暴けばいいってもんでもねえってことを!

370 :名無しさん@京都板じゃないよ:2006/12/31(日) 17:23:44
学問的な探求を「暴く」なんて言葉で片付けないでクダサイ!(><)

371 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/01(月) 10:22:52
>>369
いつも馬鹿レスご苦労さん
今年もバカレスするんですか?

372 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/01(月) 20:19:45
>>366
君の文章みると、
馬鹿な事はわかるよ、
あんま背伸びしない方がいいぜwwwwwwwwwwwwwwwww


373 :どうぞ今年も_・∀・_熱田神宮へどうぞ!:2007/01/01(月) 23:51:40
>>371,372はおおかた関西の人なのだろうが、

私は関西人でも九州人でもない。
ただ、潜在的な近畿への畏敬というものが、私の中にあったのは確かなのだよ。
そして、それは確実に、その歴史的背景についての知識が根本にあった。
しかし、だ。それが実はメッキに過ぎず、延いてはこうやって段々と剥がれてきてしまうと…
信じてきた世界が崩れてゆく―自らが既成のものとして理解し前提としてきた世界が崩れてゆくことに対しての動揺は、
あんた方だけが抱くものではないのだよ。
まあ、いいだろうよ。たとえ剽窃大社ばかりでも、
近世以降のハリボテ神社しかロクにないとこ(ex;埼玉を除く東日本)よりはマシじゃないかね!

374 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/02(火) 09:20:16
>>373
君の所在誰か聞いたのですか?
君は頭わるいから、二度と来ないで欲しいよ、
お願いだから頭割って西京味噌に入れかえてから出直して来てね。




375 :どうぞ今年も_・∀・_熱田神宮へどうぞ!:2007/01/02(火) 11:07:15
私は頭が良い。少なくとも374よりは遥かに良い。したがって二度と来ないなどということはありえないし、ここにずっと居るつもりだ。
さあ、詣でてくるか。

376 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/02(火) 20:43:33
>>375
どうゆう脈絡でのお話?
国語能力ゼロなのに、迷惑なんだよw

377 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/02(火) 22:20:40
>>375
あなたの文章の文脈は、ゴット長島級だねw
これから僕が、誰とお話すべきなのかは、
読めばたちどころわかるよねwwwwwwwww

378 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/02(火) 23:16:41
>アイデンティティの完全な崩壊をも及ぼしかねない問題だろうよ...
長いね、凄いよw

379 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/03(水) 12:48:01
どうぞ今年も_・∀・_熱田神宮へどうぞ!=と太国が同一人物だって、
おすすめ2ちゃんに書いてあるよwww

380 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/03(水) 23:46:09
>>379
馬鹿な訳だw

381 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 00:30:52
有力寺社の縁起が残っていたら、
記紀なんて異書確実だよな。

382 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 14:48:28
記紀のうち古事記が最近まで異書扱いだから、
結局2書で補強しあっているようだけど、
記紀は日本書紀のみの扱いでいんじゃね。
しかもその書紀の中身が現実に合わないから、
苦労して改竄した事もで解るんだよね。


383 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 15:28:17
「八幡宮御縁起」
「磯良と申すは筑前国鹿の島の明神の御事也。常陸国にては鹿島大明神 、
大和国にては 春日大明神、是みな一躰分身、同躰異名にてます」


384 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 16:32:32
>>383
磯良伝承が北九州にしか残っていませんからね、
北九州に在った八幡宮で書かれたものだよね。

385 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/04(木) 23:19:10
>>384
何処なのよ

386 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/05(金) 10:42:44
>>385
それは実は難しいね
宇佐の前身はさて何処だろう。

387 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/05(金) 22:01:41
薦神社とか大分八幡宮は良く言われるね。
鹿児島神宮は後世の話もあるしね。
いずれにしてもはっきりとした物は伝わっていないよね。


388 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/06(土) 14:31:19
鹿島=春日=北九州のある八幡宮
なんか他にも沢山同神の神社あるらしいよ

389 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/08(月) 11:43:42
>>388
磯良と言えば神功皇后だね、
神功の取り巻きだろうけど、
どうも誰かにダブっているよね。

390 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/08(月) 15:37:26
>>389
スーパーマンが居るもんね。
300年生きた人とかねw
「両雄並び立たず」だけど
日本は並べ過ぎてて、
一段と怪しい、
歴史上でもそんなに並ばないのにね。
いかにも分身させてるいますよ。

391 :名無しさん@京都板じゃないよ:2007/01/09(火) 22:07:47
分身ですか?(笑  まー大国主の別名を見ても明白!スサノオ、天照大御神も別名を持っている。
むしろ有力な古代神で、別名の無い神は、必ず別名があるはずだと、考えるべきです。

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